読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ニャンちゅう活動報告書

自由をテーマにした猫と自身の記録。

これから

今まで僕が間違っていました。

これからは、小さい事、自分の本質に沿わないことをやめます。

 

独立してから10ヶ月

起業を決意してから2年半

芸術を学んでから5年

中学校に入学してから13年

 

13年は早く行動できたはず。本当に多くの時間を損なったと思う。

もうそろそろ、正しく強固な選択をしなければいけない。

 

僕は芸術家になる。

 

以上、駄文でした。

 

 

人生に正しい選択を得る

今日、考えて考えて考えた結果、すこし道が見えてきました。

 

実は、僕は自身の本質というのは早い段階から分かってはいました。ただ、その本質に対して正直になるのが到底難しかったのです。

 

無論、いきなり自分に100%正直になることは出来ません。道筋を決めた後に、変わる可能性だって大いにあります。でも、限界まで妥協してはいけないと思ってます。最初にここの精度を高められるかどうかで、自分の人生の良し悪しは変わってくるでしょう。

 

ありったけの努力よりも正確な選択の方が、人生に大きな影響を与える。

 

選択を誤るということは、それほどまでに危ういことです。いえ、選択を誤るだけだったら2,3年を失うだけで済むかもしれません。

 

最悪のケースは、選択が間違っていることに気づかないままでいることです。

 

40年、50年と長い時間を失ってしまうかもしれません。僕は、いまの自分の迷走する日々に焦りを感じます。何か時間を無駄にしているような気がしてならないのです。なので、早い段階から自分の本質が定まっている人を羨んだりします。

 

でも、最近は迷うことも悪くなかったと思っています。なぜなら、早い段階から自分の本質が定まっている( = 早すぎる最適化 )は、その後の広がりを失ってしまう恐れがあるからです。

 

知る、興味を持つ、考える、悩む・・・決断する。

 

遠回りで焦りもしますが、迷った上での選択こそが一番強固なものかもしれません。望ましい順に並べるとすれば、迷った上での選択 > 迷わずに選択 > 選択の概念に気付かない となります。

 

僕は、迷った上での選択を手に入れつつはありますが、今はまだ本質に正直になりきれていません。ただ、あともう一歩で自分が生涯を賭して向き合うべきものを選べるような気がしています。

 

そして、その時にやっと、人生に正しい選択を一つ得るのです。

 

おしまい。

 

僕は答えを出すのを急いでいます。早く答えが欲しい。

僕は答えを出すのを急いでいます。

 

明日にでも答えが見つかってくれれば良いのにと思っています。そうすれば、胸に巣食う巨大な不安から解放されると信じているから。

 

でも、意外と現実はそうでもないかもしれない。

 

この前、45歳くらいの方が、ポロっと言った言葉が地味に心に残っています。「不安は大体お金からくる。生活に十分なお金さえできればゆっくり考えられる」という一言(二言)でした。

 

あぁ、確かにこれはその通りかもしれない。人生の先輩というのは偶に本質を突くことをさり気なく言ってしまうものだ。こんなカンタンなことも自分にとっては目から鱗でした。

 

そうですよね。十分なお金さえ稼げていれば、答えを急ぐ必要もない。ゆっくりと考えればいいだけのことです。焦っているのは十分なお金を稼いでいないから。

 

現在

= 自分の時間がたくさんある

= ボーナスタイム

 

と、考えている自分がいるのかもしれない。そうすると、このボーナスタイムが終わる前に「早く答えよ、見つかれ!」と、気付かなうちに急いでいるだけにすぎない。

 

ただ、難しいですよね。

 

お金を20万円か30万円稼ごうとすると、自分のほとんどの時間を労働に捧げないといけない。そうすると答えを探している時間がなくなってしまう。

 

このあたりの塩梅は悩みどころ。

 

いつも、いつでも苦しい。苦しい。こんな苦悩が延々と続いていくのでしょうか。何かを求めなければ楽なのに。どうしてか、諦められないです。

 

明日も頑張って生きます。

バランス

チャンスとリスクはバランスしなければならないと誰かが言ってました。

 

おそらく『ハッカーと画家』を著したポール・グレアムだったかな?

 

僕は、この言葉はもっともだと思います。リスクをとらなければ心を病むことも無いけれども、何かを得ることも無い。・・・歯がゆいけど当然ですよね。

 

これは、お金に関しても幸福に関しても、何にだって言える事だと思います。

 

いまは未来を手にいれるため(過去を取り戻すため)に、かなり苦しいことをしています。自分とひたすら向き合うことです。

 

この世でこんなに辛いことはないですね。自分の本質を気づかないふりをして生きる方が100倍楽です。来る日も来る日も自分と向き合う日々は本当に頭と胃がおかしくなりそうになる。中々答えも見つからないしね・・・。

 

ある人は答えが見つかるのに4年かかったと言ってました。それでも、まだ全然良くて、大多数の人間は一生見つけられないままでしょう。

 

いろんな感情が交錯して本当にわけわからなくなりそうな時がある。でも、不思議なことに苦しさと喜びも今、同じくらいバランスしている。

 

僕はこの上なく幸福でもある。

 

雨が降るって分かっていれば傘を持つ。

では、時代が変わるって分かっていれば、どんな準備をしようか。

 

天気予報であれば大体、1週間後くらいの空模様を予測するでしょう。そして、もし今日の午後が降水確率90%ならば、人は傘をともなって家を出ると思う。

 

これから時代は変わってゆく。

 

金融、テクノロジー、人口減少、働き方・・・大きな畝りの始まりをこの2,3年間に感じています。それは僕が多くの人と関わり情報を得るようにし始めたからでしょうか?

 

それも理由の一つだと思いますが、何かの兆しがあるのは間違いがないと思います。今から10年後の未来はとんでもないことになっているはず。

 

でも、それが分かっていて、自分はどんな用意をしているのか...を考える。雨が降るって分かっていれば傘を持つくらい当然の思考が働いているだろうか。もしかしたら、雨は降らないなんて合理化してしまったりしていないだろうか。

 

未来が怖いのはすぐに答えが出ないこと。

 

もし、気づかない振りをして10年過ごしたとして、自分の思考・行動が悪い結果を生んだとしても、因果関係を築きにくい。きっと、そういう世界の流れだったんだって、割り切ってしまうに違い無い。

 

今は、現実から逃げて、未来に向き合っている自分。

 

これからの世界を読んで、常に行動に移し続けていきたい。しっかりとした文章を書く気力がなかったので今日も駄文になってしまいました。

 

また、時間を見つけて厚みのある日記を書いていきたいです。

 

おしまい

過去と現在と未来、人生で手にしたいものは。

過去と現在と未来、僕たちが手にしたいものはどれだろう?

 

一番最初に想像できるのは、"未来"かもしれない。誰もが理想の恋人、健康な生活、高い給与、良い未来を欲すると思う。なぜかと言えば、未来は無限の可能性があって、いくらでも変えられるものだからだ。未来を手に入れたいというのは至極、理にかなっている。

 

二番目に想像し易いのは、"現在"だと思う。結局、生きているのは今なのだから、今が良いのが一番幸福だという話だ。つまり、過去も未来も今を良くするためにあるという考え方。『過去から学び、未来を見据え、今を生きる』。何かの本に書いてあったけれど、なかなか良い言葉だと思う。

 

一番想像し難いのは、"過去"だ。一体、過去を手に入れたい人生とはどういうものでしょうか?ここでちょっと、未来と比較してみる。未来は変えることができるもの、反対に過去は変えることができないもの。それは明白なことだと思う。けれども、実は過去は変えられなくてもとり戻すことは出来るんじゃないかと思う。人は大小あれど、何かしらの喪失感を持って生きている。その喪失感を解消するために生きるのが、過去を手にいれる人生だ。

 

ちなみに僕は、過去を取り戻すために生きている気がする。大切なものはいつも自分の記憶の中にある。どうしても手に入れたかったものを過去に置き忘れている。

 

過去を取り戻すことが、現在あり、未来のような気がする。

 

さて、過去の喪失感の全てを拾い集め切ることが出来た時、人生は完成するのでしょうか?

 

僕は僕の人生を豊かにしたい。

地方の雰囲気が好きだ。

 

けれども、排他的な人間関係や閉ざされた社会は好きではない。(地方に長くいたことがないので偏見かもしれない)

 

では、なぜ好きかと言えば、歴史や文化が色濃く残っている場所はやはり地方になるからだ。それから、自然と人間が一体化している感じも好ましい。そこにいるだけで自分のアイデンティティを得られるような気がする。

 

地方が好きというよりは、歴史や文化を尊重しているのかもしれない。

 

でも、そこに長くいるのはご免だ。地方にふらっと立ち寄り、その人と地の雰囲気を感じたら、次の街へさっと通りすぎていきたい。そういうことを繰り返して、生きたい。

 

実現できれば、人生は豊かで気楽なものになる気がする。

 

海なし県民は特に海への強い憧れがある。故郷には音(波による)もなければ、匂い(潮風による)もない、何だか虚しいものだ。かといって、荘厳な山々を臨むこともなければ、せせらぎを知ることもない。冷たいようだけれど故郷への愛着は薄い。

 

この地は僕に何を与えてくれたのだろう?

 

本を読むのは好きだし、それにより情景を思い描くことに価値を感じる。でも、それ以上に行く先々で感じることを重視したいし、何より現地の人の話を聞いてみたい。多くの場所で多くのことを知りたい。

 

結局、僕は僕の人生を豊かにしたい。そのために生きていたいだけなのかもしれない。

 

また、取り留めもない文章を残してしまいました。

 

寝ます。