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ニャンちゅう活動報告書

自由をテーマにした猫と自身の記録。

芸術はだれのためにあるべきだろう

芸術はだれのためにあるべきだろう」と良く考えます。

 

果たして、他人のためでしょうか。それとも自分のためでしょうか。今日は、その真実について考察してみたいと思います。

 

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4年間、大学で芸術を学びました。

 

毎日、モノと向きあい、モノをつくりつづける・・・。もちろん、楽しいこともありますが、それはそれは苦しい時間でした。

 

なぜなら、モノをつくる時間というのは、自分と向き合う時間でもあるからです。この苦しさから、僕は他人のために創作などできない!「芸術とは自分のためにある」と思うようになり始めました。

 

結論から言うと、これは間違いでは無いが正しくも無かったと思います。

 

僕が最近たどりついたのは「芸術とは自分が喜ばせたい他人のもの」だということです。というのも、これには以下2つのポイントがあります。

 

① 人との関わり合いの中にある

② 究極的には自分のため

 

順に解説していきます。

 

まず①についてですが、やはり芸術とは他人に伝えたいことがあるからこそ成り立つのではないかと思っています。なので、芸術は自分のためにあるという答えだけでは不十分なのです。しかし、逆に芸術は他人のためにあるという答えだけでも不十分です。これについて②で説明します。

 

②についてです。上で述べたように、いくら芸術が人との関わり合いの中にあるといっても、他人に埋もれすぎてもいけないのが芸術でしょう。この辺りの匙加減が非常に難しいですね。しかしながら「自分が喜ばせたい他人」=「自分の世界の一部」と捉えることにより、究極的(最終的)には自分のためと言うことができると思います。

 

改めて確認すると、①②を良い塩梅で満たすのが「芸術とは自分が喜ばせたい他人のもの」という答えになります。

 

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主観的な状態では、きっと物事は見えづらくなります。自分の場合、大学時代は作り手であり過ぎたが故に見えないこと多くありました。大学を卒業し、一歩引いた今だからこそ冷静に考えられる時間が増えました。

 

さて、今回は「芸術はだれのためにあるべきだろう」という問いに対して「芸術とは自分が喜ばせたい他人のもの」という一つの答えが見つかりましたね。

 

ふーむ、

 

なんだか、芸術って約束みたいです。